知らないことは罪なので、世の中にはこういうケースもあるということへの理解を深め、1人の大人として対処・援助できるようにしよう。
親になる予定の人はこうはならないように心に刻んでおこう。
母から娘への特徴的な虐待の共通点
後述する母から娘への特徴的な虐待にはとある共通点がある。
- 母の精神的成熟がなされていない。(障害含む)
- 母であるよりも1人の女である。
- 娘を庇護対象ではなく女のライバルのように捉え、敵視する。
- 娘の成長を受け入れられない。
- 娘を過度に支配、または攻撃しようとする。
- 娘の部屋を勝手に漁る、物を勝手に捨てるなどの個人領域の侵害が逸脱している。
- 娘の成長や必要なケアを過剰に「性的だ」と捉え罵る。
- 父親が空気
非常にショッキングな内容であるが、精神的に成熟せずに子供を持ってしまうことは多々ある。
免許制にでもなれば問題なくなるだろうが、現実はそうはいかない。
むしろ、精神的に成熟しづらい個体が望む望まないに関わらず子を持つことの方が多いとも言えるだろう。
そうした背景から、このような虐待被害者は学年に必ず1人はいるという意識を持った方がいいくらいに、このような問題が発生し続けている。
実際の例
あまりにもアレなので箇条書き
- 小学生の時に部屋やトイレのゴミ箱を漁られ、使用済みナプキンがあると「まさか生理きてるんじゃないでしょうね!?いやらしい!!」と怒られた。
- 中学生の時に使用済みナプキンを中を見えるように開けて部屋に並べられ、父親を呼ばれた。
- 部屋のゴミ箱を漁られ、生理が重くて薬を飲んだことがバレて「生理アピールをするないやらしい!!」と怒鳴られた。
- 生理がきても生理用品を全く買ってくれず、使ったのがバレると怒られる。
- 胸が大きくなり始めてもブラジャーを買ってくれない。
- リップクリームを塗っただけで「男に媚びてる!!」と言われ、リップクリームを捨てられた。
- 体毛を剃らせてもらえない。
- 髪が伸びてくると「女を出すな!!」と髪を切らされる。
- ブラジャーをつけていないせいで痴漢に狙われやすいと相談したら「誘ったお前が悪い」と言われた。
この虐待のもう一つの危険性
このような扱いを受けると、自分の体への無理解や自己肯定感の低下、自他境界がわからなくなるなどの悪影響がある。
しかし、その他にもう一つ厄介な危険性が潜んでいる。
変質者に狙われやすい。
変質者は常に獲物を狙っている。
抵抗しなさそうなおとなしい子を狙うのももちろんだが、1番ターゲットにされやすいのは「発達障害・知的障害がありそうな子」である。
どのように見分けるかと言えば、周りから浮いてそう、年齢相応ではない格好などである。
つまり、生理用品やブラジャーなどを適切に使わせてもらえない女の子はそれだけで変質者の格好の獲物となりやすいのである。
ただでさえ肉親に心身ともに傷を負わされているのに、他人にも加害される可能性がグンと上がる。しかも母親に相談したとて、より攻撃的になって返ってくることが想定され、相談すらできない環境である。
この恐ろしい負のループは周りの大人にしか断ち切れない。
というか父親は(いるなら)なにやってんだという話ではある。
対処法
元凶から隔離の一択。
とにかく虐待通報窓口に通報。実は学校の先生や担任から通報すると通りやすいらしい。
通報してもなかなか解決につながらないのが由々しきところではあるが、何もしないよりマシである。
仲のいい子や親戚の家庭に余裕があれば避難させてあげることも可能だが、誘拐と言われる可能性もあるため、必ず学校と父親もしくは親族、近所の人には話を通しておこう。
もちろん世話代はしっかり要求し、可能であれば契約書も用意しよう。
証言があればブロックは容易になるし、契約書があれば完璧である。
そして母親は明らかに精神に異常をきたしているので精神科やカウンセラー通いが必須。
行きたくないとごねられたら「娘のことで相談しよう」と誘導してあげると、医者は内容で察してくれる。
もちろん周りの大人が正論で殴ることもできるが、脳の病気の可能性があるため徒労に終わりそうな予感。
たまに他人から正論でぶん殴られると目を覚ます個体もいるが希少である。
まとめ
距離を置くとまともな親子関係に戻れることも多々あるが、所詮は血のつながっているだけの他人なので、合わないときは徹底的に合わない。
血のつながりはさほど大事ではないため、合わない物を無理に合わせる必要も義務もないことは心に刻んでおこう。
そして、周りの大人にはいくらでも頼っていい。役所、警察、学校、団体、なんでもいい。
最近では生理用品を無料で配るシステムなど、さまざまな手段がある。
大人側で頼られた時も周りの機関に頼っていい。
背負い込まず、社会の問題とすることで、解決方法が見つかることがある。
知らないことは罪。
まずは知り、可能性の1つとして考えられるだけで、救えるものがあるということは肝に銘じておこう。